between earth and sky

自然との調和を探る旅。旅と自然と子育てと。

自分が創り出す世界

 ”あなたの思考があなたの世界を創る”

 

最近よく聞く言葉ですね。

本当にその通りだと思う。

 

起きることや、何か物に善悪や意味があるのではない。

それらは全くニュートラルな存在でしかない。

自分がそれらにどう意味をつけているか、ジャッジするかによって、各々の世界が創られる。

 

 

私はバリ島に移住してからは母から多くの物理的、精神的なサポートをしてもらっている。

最初は申し訳無い気持ちでいっぱいで、とにかく頑張って働いて成果を出していかないと!

って、思いでいっぱいだった。

要は、苦労しないといけないと思っていた。

私なんかが買い物や余暇を楽しんじゃいけないって。

これ、ひと昔前の思考ですね。

”働かざる者食うべからず”

みたいなね。

 

だからどこかでいつも母親の顔色が気になったり、

楽しむことがなんか後ろめたかったりした。

 

でもね、いつの何がきっかけかは分からないけど

少しづつこの思考が変化していった。

この時はまだ冒頭の言葉を聞いたこともなかったけどね。

 

もしかしたら、

母がバリ島に遊びにきた時に私たちの生活や仕事を見て納得してくれた時からかもしれない。

母は満足してくれた。

嬉しかった。

 

そんなことをきっかけに、

私も生活が安定していく中で心から余暇を楽しむことが出来るようになった。

 

思考の変化を見ると、

申し訳ないという気持ちが、感謝へ変わっていった。

母に認めてもらえたことが何より嬉しかった。

どんな時でもいつもすべての面でサポートしてくれた。

私自身も歳を重ね、自立をし、子を持つことで母親の気持ちが十分に理解できるようになって尚更、母の偉大な愛を知った。

愛されてきたことに気づいた。

ただただ、感謝しかなかった。


自分が勝手に「苦労」や「楽しく無い生活」を創っていただけだったと気づいた。

そして、母の愛や自分に与えられたものは感謝とともに受け止めたらいいんだということ。

 

その感謝の気持ちは、仕事の糧であり、生活の糧になる。

それは、”働かざる者食うべからず”というのとは違う。

前回の記事と重複するが、

その感謝の気持ちがさらにいい環境を創り出していくのである。

 

それが最初にあげた言葉の通りのことなのだろうと思っている。

 

与えられたものを感謝して受け取ればいいんだよ。

 

これは一つの経験談であるだけで、

すべてのことにおいて言えること。

要は、あなたがどう物事を捉えるかであなたの世界が築かれていくということ。

私のこの例えの場合は、

苦しまなければいけないという想いを、感謝と愛への生活へとシフトさせたこと。

これ以外にも、自分の思考の癖をまずは意識をして変えていくことをした。

自分がどんな世界を創りたいのかを明確に、それを思い描いていく。

 

 それらを経て、この「自分が創り出す世界」のトリックを潜在意識へと落とし込むことができた。

 

そして、何回も書いていることだけど、そのためには常に自分を心身ともにいい状態においてあげることも大事なのだと思う。

 

あなたはどんな世界を創造したい?

 

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心地よい時間を過ごすこと

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早いもので、妊娠後期に入りました。

時間だけはたくさんあるので毎日じっくりとココロと身体を整えています。

 

朝は瞑想、呼吸法とアーサナにストレッチを1時間から1時間半ほど。

今はバリ島は乾期に入り、私の住むウブドはそよ風が気持ちいい。

風が抜ける部屋でゆっくりと身体を緩め、呼吸を深めていると本当に心地よい。

身体もココロもすっかりリラックスしているのがわかる。

 

自分を大切にすること。

自分を常に気持ちいい状態にしてあげること。

本当に大事だなと想う。

最近たまたま手に取った引き寄せの法則の本を読み、結果まずそれが第一なんだなと再確認。

自分を心地よくすることで正の連鎖を生む。

そういうことなんだよね。

そして心地よい状態からは自然と感謝の気持ちが沸き起こる。

どうしたってそんな時にはネガティブなことなんて思い浮かばない。

 

先日も朝のヨガの後、気持ちよくシャヴァーサナしてたら自然と涙が溢れてきた。

妊娠中ということもあり、感情も敏感にもなっているのもあるけど、

感謝の涙が止まらなかった。

 

友だちは少ないし、私は他人に自分の相談てほとんどしない。

自分のことをよく理解できるようになるまではそれが時に寂しく想う時もあった。

でも今は違う。

この前の涙は、私は独りじゃない。

みんなに支えられて生きているんだっていう、その感謝の気持ちが止まらなかった。

 

いつも絶対に私の味方でいてくれる母や、

私は何もしてあげられてないし、むしろ母にたくさん世話をかけているのにも関わらず、

たくさん与えてくれる姉、

同じ道を歩む旦那さん、

その存在が私の心を支えてくれる息子

そして、お腹の中から私を守ってくれている赤ちゃん…

 

そんなみんなへの気持ちが一気に溢れてきた。

 

ココロの緊張を解いてあげるって大事だね。

きっとお腹の中の赤ちゃんにも伝わってるはず。

 

だからね、どんなことでもいい。

自分の心地よいこと、気持ち良いことをどんどん選択していこう。

物事の良い面を見ていこう。

そして、すべてうまくいく。と、

宇宙を、

自分を信じよう。

正の連鎖しか生まれないから。

 

 

 

 

子ども主体でいいの?

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私の住むバリ島には多くの日本や海外からの移住者がいます。

みんな移住の目的はそれぞれですが、子どもの教育のためという家族もいる。

バリ島の気候や環境の中でのびのびと育てたいのでしょう。

ましてや日本の都市に住んでいたらそんな気持ちが強くなる人も多いいのかなと。

あとは、最近多い英語を身につけさせるためということもあるでしょう。

 

ここバリ島以外にもこういう理由で海外移住する人が増えてる最近。

とにかく子どもの”教育”主体で家族が動く。

それ自体が良い悪いという話ではなくて、

今回の視点は

じゃあ自分自身はそれで幸せか?ということ。

 

教育熱心な親が多いけど、子どもに自分たちの理想や望みを託しすぎたり、

子どものためにと、自分の時間やワクワクする気持ちを抑えたりしてないかな?

結局、日本からのお受験戦争は避けてきたけど、こっちでも”良い”学校優先になり本当に子どもをのびのびと育てられているのかな?とか想うわけです。

どこにいようが大学が…とかそういう将来のことばかりに心配が先走ってる。

場所が変わってるだけで、親側の姿勢って結局似たり寄ったりにしか見えない。

親がまずのびのびとしてない!笑

 

何が言いたいかといえば、

彼らは自分の人生を生きているのだろうか?

”子どもの幸せ=自分の幸せ”ではない。

自分の人生は子どもには託せない。

もちろん子どもの人生を私たち親がどうする権利はない。

ただ出来ることは彼らの幸せを願うことだけだ。

そしてそのための行為が自分の人生の望みかのようになってしまってる気がする。

 

もっと、自分を大切にしてほしいと思っている。

生活の中でどこかに自分のスペースを作ってほしい。

自分が幸せで、気持ち良い暮らしを見せることがとても大事なことだ。

でもこれは、育児や家事を全く放って良いというわけではなくてね。

ただ、必ずどこかにスペースはあるから。

もっともっと、自分の内側に向き合っていってほしいと思っている。

そんなに子ども子どもしなくても大丈夫だよ、と言いたい。

子どもは親の笑顔を見ることが嬉しいんだから。

子どものための環境の前に、自分のための環境を整えることを考えても良いと思っている。

 

自分が、心地よく気持ちよく過ごせる日常を♩

 

 

 

 

 

 

 

新月に想うこと

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バリ島では今日が新月(バリの一日の時間の区切り方で日本とずれる日がある)

何から書こうか…

最近は色々な思いが巡っています。

只今、妊娠6ヶ月に入っているということが大きく関係しているのでしょう。

秋には家族が一人増えます。

 

「この時期に大変ね」

と、心配してくれる人もいますが、

逆に、私としてはこの時期であってよかったと思っている。

仕事もない今、じっくりとお腹の子に向き合い、

体を動かしたり、自分の好きな時間を堪能することでどんなにストレスフリーな環境なことか!夏のハイシーズンも今年は見込めそうにないので本当にこれは私と赤ちゃんに与えられた貴重な時間だと思っています。

そして、そうできる環境であることに心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そして、今日は私たちの夫婦生活が13年目を迎えました。

一度どん底を味わい、少しづつ時間という助けも借り今は仲良しバディです。

息子が1歳になると同じくしてバリ島に移り、お金もないところからのスタート。

28歳ぐらいの時だったかな、

初めて「私」って何?

みたいな壁にぶつかった。

一つづつ生活を築き上げていく中で、旦那さんとの価値観の違いやらでお互いがとてもギスギスしてたな。

そんなことが数年。

でも色々なことをきっかけに少しづつ関係が改善されていった。

 

私自身そして彼自身も、変わっていったのだろう。

色々な価値観が崩れた(いい意味で)

そしてまず、自分自身が生きやすくなった。

そして夫婦で宿を営む過程で、お互いの領域・役割を尊重することができるようになった。

 

そして今年、11年ぶりに第二子を授かることに。

息子を授かり、「家族」を持った時に思ったことをふとまた思い出していた。

一人でフラフラ好きなことばかりやってきた私は、自分が幸せだという感覚がなかった。

それは闇がなければ光がわからないと同じことで、

私は一度も辛い経験をしたことがないので、自分が幸せかどうかという発想がなかった。

 

でも、家族を持った時に感じたことは「幸せ」だった。

そして気づいた。それまでの一人の人生は「楽しかった」だった。

自分だけの時間は本当に楽しかった。

そういう時間が持てたから一人の自由な時間がなくなることに何も悔いはなかった。

(これも実際には一定の期間だけ。)

これからはこの「幸せ」を育む人生の新しいステージなんだと思った。

 

結婚願望も子どもをもつ願望も特になくて、ただ漠然といつか温かい家庭を築きたい。

という思いだけだった。

全てはタイミング。

今でも他人に結婚や子どもを作ることを勧める気は一切ない。

本当にこれは個々の問題だと思っているから。

それだけが「人生の幸せだ」なんてことは到底思わない。

ただ、私にとってはそうだったというだけのこと。

 

前世ではインドの山奥とかでとにかく修行に励んでいたらしいです。

だから今世は子を育むこと、家庭を築くことがテーマなのかもしれないです。

正直、一人目を全身全霊で向き合ってきたためか、二人目を考えることなんてできなかった。

これ以上に愛を注げる相手がいるのだろうか?と。

しかも、多くの人が言うような「お産の痛みなんてすぐ忘れる」とか言うあれは

一切私はないです。全然痛いの覚えてます。

またかー!

と言うのも正直な気持ちでした。

でも胎動を感じ、少しづつお腹の子にフォーカスし始めるとそれらの些細な心配や不安は一切吹き飛んでしまいました。

これからこの子と過ごす時を考えたらお産の痛みなんてほんの一瞬。

赤ちゃんをもう一度この腕で抱ける喜びほどのものはありません。

 

そんなことを想う新月の今日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもとふれあうこと

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今、この時期子どもや家族と向き合う時間を、いかがお過ごしでしょうか?

コロナ離婚なんて言葉もちらほら聞くほどですが…

子どもたちの学校も休校で、今までの日常がもはや日常ではなくなり

そこにまだ慣れないうちはストレスを感じる人も少なからずいるのでしょう。

 

幸い、我が家は家が仕事場であり夫婦で宿を営んでいるので、自粛生活といってもこれといって今までと変わりない日々。二個一みたいなものなので笑

息子のホームスクーリングも週3で週の半分は家にいる生活だったこともあり、

なりよりも送り迎えにお弁当づくりがなくなった今はどちらかと言うとのんびりと毎日が過ごせています。

 

きっと家族や子どもとの絆をより深めている人も多いいと感じています。

そして、そうであって欲しいとも願っています。

 

私は、今までの生活に戻ることはないと思ってるし、”戻る”必要もないと思っています。

次のステージを楽しみに待っているから。

これはたくさんの人が共感できるところだと思います。

 

では、振り返ってみてこれまでの子どもとの時間はどうだったでしょうか?

これは私自身も10歳の息子を育て、他の親子の関係を見ながら私が感じていたこと。

 

私がこの記事を頭で思い描いている時に、FBでフォローしているある素晴らしい医師が投稿していた文章にズバリ私の言いたいことを一言にうまく表現されていたので、その言葉をそのまま使わせていただきます。

 

『知識ではないものを伝えて実感させていくこと』

 

誰もが、子どもの将来を思って、苦労しないようにと今のうちから…と言う気持ちも十分わかる。でもこれまでのお金を稼ぐ、大きく言うと物質主義的な生き方がもう通用しなくなっていくであろう将来、果たして知識だけを詰め込めばいいのだろうか?

いい学校に行かせること。たくさん頭に詰め込ませること。

一週間が学校と宿題と、習い事で埋まっている子どもたち。

ここバリ島在住日本人でも同じことが言えます。

そこばかりに親は必死になっていますが、私たち”親”が子に何を伝えてあげられていますか?

 

私が言いたいのは、

子どもの教育を外に任せすぎだと言うこと。

 

親が自分たちができなかったこと、または理想を子どもたちに押し付けているだけ、そして親たち自身が体験するわけではなく、他人にそれ一切を任せてしまいすぎると言うこと。

知識は学校や塾で。

運動も習い事で。

他にも課外活動的なものはそう言う施設?に連れて行って体験させてくる。

と言った具合ではないだろうか?

そして親たちはそれで子どもにやってあげていると言う自己満足に陥っていないだろうか?

 

それらが善悪はなく、

ただもっと身近に最良の教師がいるのに。

親という私たちが。

私たち親が暮らしを通して伝えていけることが山ほどあるということ。そして、親がもっと人生を楽しむ姿を見せることが大切なのではないかと思っている。

どうするかと言えば、子どもが勉強を聞いてきたときはしっかりと向き合って答えられる限りは答えるようにする。一緒に考えてあげたり、答えをただ教えるのではなく、答えを導き出す方法を教えてあげる。学習方法をアドバイスするとか。

体を動かすことなら一緒に動く。

外でのアクティビティは一緒に楽しむ。(キャンプに連れてくとか、海で、山で遊ぶ。とか)

要は、しっかりと子どもに向き合うということ。

そうしないと、子どもには伝わらないと思う。

そして、それを通して私たちも子どもたちから多くの学びを得られるのに。

要は、子どももまた私たち親にとっての最良の教師であると言うこと。

 

最初にあげた言葉のように、知識ではない、生活やふれあいを通して子どもが感じること、学んでいくということが大事なのではないだろうか。

私が子どもに言うことは、

「あなたが今学校や家庭生活において学ぶということは、将来あなたが自分の足でしっかりと立って生きていけるようにすることなのだと。どんな道であろうと自分で自分の道を生きていけるようにするためなのだ」と。

 

怒る時もただ怒りに任せるのではなく、しっかりとその理由を話すこと。

子どもの話にしっかりと向き合う。どうせ子どもだから…と言ったような姿勢は一切とらない。

そして自分が伝えることは実感と体験に基づき、まず自分が見本を見せること。

 

これらは私が実践してきた、そして今も継続中のこと。

私は”いい母””ちゃんとした母”であろうとしたいがためにやってきたのではない。

そして誰かや本に教わったことでもない。

私が真剣に息子を想ったら自然にとってきた行動、考え方であるだけ。

そして、今私と息子の関係はお互いが強く信頼関係と深い愛の絆で結ばれていると確信している。

 

自分の”好き”を諦めて全てを子どもに注げとか言うのではない、ただ”好き”で産んだ子なのだから、どっちの”好き”も大事にしてあげよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

止まない雨はない

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もう何処もかしこもこの話題ばかりであえて、ここでどうこう触れる気はないのだけれど、

日本も東京オリンピックが延期になったことをきっかけに、どんどんと感染者の拡大が明るみになってきている。

今までなんとなく他人事でいた人も、多少なりとも危機感や不安を感じ始めているのではないだろうか?

日本は情報規制がすごいからなかなか外の状況を知ることはないかもしれないけど、

バリ島で暮らしていると様々な情報が入ってくる。

それを見てると、休日に公園に集まる人(何を求めてかしらないが、何処かに長蛇の列ができてたり!)や、お花見している人がいっぱいいてぶったまげてたけど。笑

海外(欧米諸国)ではもはやあり得ない光景だから。

 

でも流石に、ここ数日の動きでみんなの意識も少しづつ変化しているのだろうと察する。

 

私の暮らすバリ島も徐々に感染は広がっていて、ゆるゆるではあるが外出自粛要請も。

 

そんな今、私が思うこと。

 

いやでも情報はいっぱい入ってくるけど、自分の中にそれを取り込まないようにしている。

必要な情報(外出禁止とか)はちゃんと把握し、

スーパーなどの人が集まるような場所への外出は、他人を不快にさせない為にも、

マスクをつけたり、不必要に近づくことがないようにしている。

 

ただ、今ある状況を見ないようにして自分は別の世界を見てるのよ〜♫

みたいなスピリチュアル好きの人のように目を背けるのではなくて、

今起きていることを捉えつつも、

自分が、観賞者の立場で立つことを心がけている。

そして、光を見ている。

 

毎朝の瞑想、呼吸法にアーサナの練習。

これらが私の軸を整えてくれる。

魂が喜ぶのを感じる。

魂が”大丈夫だよ”と言うのが聞こえる。

 

意識を光に向けること。

 

「夜明け前が一番暗いんだよ」

何処かにこんな言葉があったよね。

 

闇を超えた、光に意識を向けていこう。

 

朝が苦手な人は、月光浴をしながら深呼吸をしてみよう。

 

月の光が遮られているならば、

好きな香りや音を楽しもう。

 

魂の喜ぶことをしていると、

全身がリラックスしてくる。

そして、気持ちもずっとポジティブになる。

 

そして、この今ある時間を今できることに精一杯費やそう。

料理をしたり、お庭をいじったり。本や漫画を読みふけったり。

なんでもいい。

 

川の流れを止めようともがくよりも、

流れた方がうまくいく。

 

心を落ち着けてると、

自分は大丈夫なんて驕りではなく、

この先は必ず全てうまくいく(自分のことだけではなく、全てのことに対してね。)

という自信がわく。

 

その光を見つめよう。

 

 

 

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アラスカにあこがれて

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もうかれこれ愛読歴は軽く15年は経つのかな。

本棚の一番手前のすぐ手の届くところにいつもそれは並んでいる。

 

私の最も敬愛する作家であり、写真家。

星野道夫さん。

 

ここ数日、体調不良と雨が続くバリ島。

それに加えコロナウィルスの影響を受け仕事は静かなため、

ほとんど家に引きこもり状態。

そんな時は私はひたすら本を読んで過ごしている。

(それ以外のやる気が出ないだけなのだけど…)

 

そして、星野さんの本をまた片っ端から再読中。

もう何度目になるかもわからなくなるくらいで、話の先も知っているのに、

時々無性に読みたくなる。

 

その中でも特に私が好きなのが、

上の写真にもある、星野さんの遺作となった

ノーザンライツ

 

前半部分は、著者と親交のあった人々のアラスカでの歴史を綴っている。

それがなんとも私を惹きつける。

 

アラスカが自然保護か開発かで揺れ動く激動の、そしてまだ未開のアラスカの時代を生きた人たちのストーリー。

 

私もこの時代にこのアラスカを生きてみたかった。

 

 

寒い所が苦手で、島にずっと憧れてた。

でも、星野さんの著書や実際に常夏の楽園に暮らしてみて、

私は季節があることがなんと愛おしいことだろうと思うようになった。

 

寒いのは辛いけど、寒さに憧れるほどになった。

島だけではない、全ての自然が好きになった。

そして全ての命が繋がっていることを教えてくれた、星野さんを通して知ることとなった

アラスカ原住民や他のアメリカ先住民たちの暮らしと智恵。

 

色んなことを彼の著書や写真を通して出会えた。

そして何よりも彼の優しさの込められた文章が大好きなのである。

 

さあそろそろアラスカへの旅を始めようかな。