between earth and sky

自然との調和を探る旅。旅と自然と子育てと。

ヴィーガニズム

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以前にもかいたveganについてさらに掘り下げて。

なぜまた書くかというと、私の周りの環境がveganが多かったり、SNSを通してGO VEGAN!と訴える人がやたらめったら目につくので、今日はまた私の思うこと。

 

私は個人の好みの問題でveganであることに対しては何かを言うつもりは一切ない。

 

多くのWesternのveganスピーカーたち、そしてそれに影響を受け日本でもそれを広めている人たちが言おうとしていることは真っ当なこともある。理解もできる。

 

畜産業がどれだけの環境汚染を招いているか。

家畜の餌のための作物がどれだけの作物の生産の割合を占め、そしてそれがなければ貧困の人たちへも食料が行き渡るに十分な作物が生産できると言うこと。

そして、家畜たちの劣悪な飼育環境の問題。

等々。

 

今の畜産業がどれだけの問題を抱えているかもわずかながら知っているし、

これらの問題を無視していない。

これらは改善されなければいけないと思っている。

 

 

そして、彼らは言う。

「子どもの頃のように、動物を愛していたことを思い出そうよ」

「自然と動物との調和」

「動物がかわいそう」

などと、至極もっともに聞こえることを。

けど、彼らのその話し方や態度に虫唾が走るのは、物事を斜めからしか見れない私だけだろうか?

 

どこかで読んだものに、こう書いてあった。

「西洋人たちの世界は、人間中心で世界が成り立っている。

そして東洋人のそれは、人間も自然の一部であると言うこと。」

 

そうだなぁ。と改めてこの言葉を思い出していた。

だから私は彼らの発言が時に、偽善のようにしか聞こえないのだ。

彼らにとっては”人間のための”自然なのだ。

 

全ての自然は命の奪い合い。

こう言う風に書くと、残酷にも聞こえるが。

いや、自然は時に残酷で、でも全てお互いの命のために繋がっている。

だから先住民たちはグレートスピリットに祈るのだ。

与えられた命のために。

 

 

今の畜産、農業、ファッション産業そして私の中では養殖業も含め肯定するつもりは全くない。だが「肉を食べるな」とすることだけが全ての解決にはならないと思っている。今はそればかりを訴えることばかりが目につく。

 

veganでレザーを身につける人々。

魚は食べるのに肉を食べるなと訴える人。

食べ物を食べれないだけ頼んで残す人。

等々。

 

これらは本当にveganなのか?

それでもveganと呼ぶものがあるならば、上記の産業全てを含めたことに対して行動する人たちであり、自然との共生をしていくこと。自分が自然の環の一部として全ての命を平等に尊うことができるのか。要はveganism、大切なのは生き方の問題なのではないだろうか?

 

そういったことから、私は先住民族の智恵をいつもかりている。

彼らにとっての動物や自然との在り方はvegan以上のものである。

彼らが受ける自然からの恩恵を彼らは感謝の気持ちを込めて衣・食・住いたるとことに余すことなく使い切る。

それが他の命によって自分たちの命があるということを体現している人たちだ。

人間のための自然や、動物があるのではない。

みんなに同じ命がどこかで支え合い繋がっているという意識を持った行動だ。

 

そういう彼らの智恵を私たちがもっと学び、取り入れることができたら今の畜産業や他の環境汚染につながる産業の問題は良くなっていくのではないだろうかと、私は思っている。

 

肉がダメ。

それだけではなくて、その扱い方、向き合い方が大事なのではないだろうか?

 

一人一人がその意識を持てたらきっと変わっていくはず。