between earth and sky

自然との調和を探る旅。旅と自然と子育てと。

"今この瞬間を精一杯に生きる”こととは…

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ふと目に止まった「インナーチャイルドカード」というワード。

なんとなく遊んでみた。

そして引いたカードのメッセージは

「新しいステージにいますね、味わい尽くしてください」

ということだった。

 

私はこのカードのメッセージを信じるとか、当たっているとか言うことは特にどうでもよくて、そこに書かれていた

「味わい尽くす」

と言う一言がすごく響いてきた。

その言葉に源から深く共鳴していた。

それはきっと、カードのメッセージを通して魂の声を私に届けてくれた。

ということだったのだろう。

 

娘の温もりを感じる時、

彼女の甘い匂いを嗅ぐ時、

小さな手足、

ニコニコの笑顔、

天使の声に

顔をくしゃくしゃに真っ赤にして泣く顔や、う〜んって踏ん張る顔…

彼女との触れ合いをどれも忘れたくないと思っていた。

 

それは息子の時を思い出そうにも忘れてしまった。

なんてことだろう。

もちろん可愛かったとか、感覚的には覚えているけど。

あんなに必死で、今と同じくらい愛おしくて全身全霊で愛を注いだ日々。

時というものは止まってはいない。全てを流してしまう。

 

だから余計に今回は強く思う。

この瞬間を忘れたくない、と。

執着になってしまうけど、もう2度と来ないこの瞬間を忘れたくないと、

今彼女と過ごす日々の中でいつもをそれを想っている。

 

とはいっても育児は大変なこともいっぱいだし疲れている。

ガチガチの体になかなか自分のことが進められない焦燥感…

だから”ふぅ〜”って萎えていた時にこのメッセージが私の元に届けられたのだろう。

「味わい尽くしなさい」

 

そうだ。

「この瞬間はもう2度と来ないんだ。

今彼女との日々を後悔なく過ごしたいのだ」

と、

改めて気づかされた。

 

そんな風に思いを巡らせていて最後にたどりついたのが、

「今、この瞬間を精一杯に生きよう」

ということだった。

 

今までだって何度も聞いてきた言葉だし、

そのつもりで生きてきた。

けど、”つもり”なだけだった。

やっとこの言葉を自分のものとして

懐の深いところまで響いてきた。

 

この愛おしい日々を忘れたくない、

だから

この瞬間を精一杯に生きたい。

魂が叫んでいる。

 

子どもは偉大な師である


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安産のススメ

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10月の初めの満月を迎えた日、

私たちの元に新しい命が降りてきた。

 

風の時代に、風の性質を持って産まれてきた。

バリの名前は”Anila(サンスクリット語で「風」”と名付けた。

 

今回2度目となる出産、

検診の時に先生に11年も開いたら初産みたいなもんよ!

なんて脅されてビビってましたが、

案ずるより産むが易し!

スーパー安産で無事に出産を終えることができました。

せっかくなので、(ほとんど訪れる人のいないこのブログだけど!)

私の妊婦生活中の安産のために心がけていたことをシェアしたいな。

と思いました。

 

つらつらと綴っていきますね。

 

一つ、運動!

私の住む場所は坂が多いいのと、野良犬やらがワンワン吠えて向かってくるのが怖いので散歩はほとんどせず、ほぼ毎日プールで水中ウォーキング、平泳ぎにクロール。

そして、マタニティヨガも毎朝30分から1時間程度。

8ヶ月ぐらいまではヘッドスタンドもやってましたが、体が重くなってきたのでそれ以降はやらず。大事なのは、ほどほどに筋力をつけておくこと、股関節を柔らかくしておくこと。

筋トレは、骨盤底筋や背筋、足など無理のない範囲で。股関節は開脚前屈を。

そして何より、スクワット!一日10〜20回を目安に。

まあ、今までと変わらず家事もこなし動いてました!

おしるしがが出ても、(陣痛と気づかなかったのもあるけど)まだまだ弱い陣痛の段階の時までプール入ったり、普通に子供のお迎え行ったり、とにかく動く!

 

二つ、瞑想などで自分を心地良くしておく。

自分の出産をイメトレ。

安産してる自分を、常にイメージしてました。安産以外あり得ないだろうぐらいに笑

信じきること。

私の場合はいつも通りの瞑想をして、心を落ち着かせ。

自分をしっかりと調えておくこと。

人それぞれ自分の気持ちのいい時間の過ごし方ってあるはずだから、

それでいいと思います。

 

三つ、お腹の中の赤ちゃんへの声かけ。

「ママをあんまり痛くしないでね〜、するっと産まれてくるんだよ」

って、お腹をさすりながら語りかけていました。

 

こんなところかな。

実際のお産はどうだったかというと、

 

今回の陣痛は恥骨あたりが痛み、

前回は腰にきていて陣痛は腰が痛むものだと思っていた私はこれが陣痛とは始め気づかず苦笑

そして痛みに波はあったものの、痛み自体はすぐに去っていたので今降りてきていて、

これが過ぎたら陣痛かな?程度に思ってました。

そしたらおしるしが。

おしるしが来てもすぐにお産というわけではないらしいので、

いつも通り水中ウォーキング。

そしてちょうど検診の日だったので病院へ。

状況を伝えたら、

子宮口のチェックされこの時点でまだ子宮口は開いてなかったけど、入院の準備は持ってきてるか?と聞かれ、やっとあれ?

これはもう陣痛か?もうお産か?

と気づく笑

入院の準備ももちろん持ってきておらずだったので、

予定通り、長男の学校へお迎えに行き家に帰った。

コロナのせいで付き添いが一人のみ。息子もだめとのことで急いで預け先を探し…

なんてしてる間に痛みがどんどん増してきた。

いや、これはもうダメだ!と

息子を友人宅へ預けそのまま病院へ。

そしたら既に子宮口3cm。

ベッドに横たわり出した途端、我慢できないほどの痛みへ。

「我慢できなくなったら教えて〜」

なんて言われて部屋を出て行った助産婦さん。

すぐに、

「我慢できません〜」

と、私。

「今が一番痛いから。破水したら教えて〜」

と、また部屋を出て行く助産婦さん。

の、直後に破水。

そしてお産が始まり、叫びながらいきみましたよ。

 

結果、子宮口ゼロから2時間もかからず、そして病院着から30分ほどで出産終了。

早かった!よかった!でも痛かった!!

 

な、お産でした。

とにかく安産で、無事に娘が生まれてきてくれて何よりでした。

 

長くなってしまうのでここまでで。

これからも出産体験や、子育てのこと書いていきますね。


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”新しい日常”って?

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世界的に自粛が明けてからまた第二波がきたと騒いでいますね。

バリ島を含むインドネシアはそこまで厳しい自粛ではなかったですが、

バリ島でも同様、感染者は増えている”らしい”です。

 

が、いい加減気づかないだろうか?

ロックダウンの無意味さを。

それでもまた前ほど厳しくは無いにしろ再びロックダウンしてるところまである。

ここインドネシアも9月11日から海外ツーリストの受け入れを再開する予定だったが、

年内いっぱいまでそれも延期されそうな雰囲気。

 

そして、ここでは”new normal"と銘打ってマスクや殺菌、ソーシャルディスタンス等の日常化とも言うべきか、そんなことが始まっている様子。

そんなことを日常化させてしまうのか!

日本でも県をまたぐだけで自主隔離とか、お盆で帰省したらご近所さんから苦情が来ただとか。SNSとかでもジムでマスク姿とか、「写真の時だけマスク外してます〜」みたいなコメントを一々付け加えていたり…

 

すいませんが、

狂気の沙汰にしか見えません。

 

この偽パンデミックをおかしいと気づいている人たちも多くいるが、

また多くの人がこの狂気に飲み込まれてしまっているように見える。

 

これからは二極化がますます進んでいくという。

ここでもそれが起きている。

この出来事をどう捉えるか。

 

マスクや過剰な殺菌、人と距離を置く。

そんな世界でいいのだろうか?

それが真っ当な暮らしに思えるのだろうか?

 

アメリカのニュースでは、子供たちに黄色いバッジをつけさせるとかそんな話題も。

その黄色いバッジを付ける子は、ワクチンを打ってないから僕たち触れたり、ハグしたりするな的な意味があるらしい。

それが現実のものとなるかは知らないが。

ただそんなことを示唆しているだけでも恐ろしくはないだろうか?

 

個人が望み、意識を向ける世界は多様性に満ちている。

その人が望むことは自由だ。

ただ、自分が何を望むか。

どこに意識を向けていくか。

本当に明確にそれを知っている人は少ない。

もっと、しっかりと自分で判断していけたらいいと思っている。

メディアや周りの人の雰囲気に飲まれてしまわずに。

こんな時だからこそ、しっかりと自分を見失わずにいたいと思う。

今は多くの人が恐怖に意識が向いてしまい、それがこの状況を許してしまっているように思う。みんなが、いい意味で今までのようにというか、これをきっかけにさらにパワーアップして人と人とのつながりや、ふれあいをもっと大事にできる世界を望めばこの偽パンデミックなんてさらっと忘れられてしまうのにな。

 

世界は自分次第で天国にも地獄にもなるんだよ。

 

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自分が創り出す世界

 ”あなたの思考があなたの世界を創る”

 

最近よく聞く言葉ですね。

本当にその通りだと思う。

 

起きることや、何か物に善悪や意味があるのではない。

それらは全くニュートラルな存在でしかない。

自分がそれらにどう意味をつけているか、ジャッジするかによって、各々の世界が創られる。

 

 

私はバリ島に移住してからは母から多くの物理的、精神的なサポートをしてもらっている。

最初は申し訳無い気持ちでいっぱいで、とにかく頑張って働いて成果を出していかないと!

って、思いでいっぱいだった。

要は、苦労しないといけないと思っていた。

私なんかが買い物や余暇を楽しんじゃいけないって。

これ、ひと昔前の思考ですね。

”働かざる者食うべからず”

みたいなね。

 

だからどこかでいつも母親の顔色が気になったり、

楽しむことがなんか後ろめたかったりした。

 

でもね、いつの何がきっかけかは分からないけど

少しづつこの思考が変化していった。

この時はまだ冒頭の言葉を聞いたこともなかったけどね。

 

もしかしたら、

母がバリ島に遊びにきた時に私たちの生活や仕事を見て納得してくれた時からかもしれない。

母は満足してくれた。

嬉しかった。

 

そんなことをきっかけに、

私も生活が安定していく中で心から余暇を楽しむことが出来るようになった。

 

思考の変化を見ると、

申し訳ないという気持ちが、感謝へ変わっていった。

母に認めてもらえたことが何より嬉しかった。

どんな時でもいつもすべての面でサポートしてくれた。

私自身も歳を重ね、自立をし、子を持つことで母親の気持ちが十分に理解できるようになって尚更、母の偉大な愛を知った。

愛されてきたことに気づいた。

ただただ、感謝しかなかった。


自分が勝手に「苦労」や「楽しく無い生活」を創っていただけだったと気づいた。

そして、母の愛や自分に与えられたものは感謝とともに受け止めたらいいんだということ。

 

その感謝の気持ちは、仕事の糧であり、生活の糧になる。

それは、”働かざる者食うべからず”というのとは違う。

前回の記事と重複するが、

その感謝の気持ちがさらにいい環境を創り出していくのである。

 

それが最初にあげた言葉の通りのことなのだろうと思っている。

 

与えられたものを感謝して受け取ればいいんだよ。

 

これは一つの経験談であるだけで、

すべてのことにおいて言えること。

要は、あなたがどう物事を捉えるかであなたの世界が築かれていくということ。

私のこの例えの場合は、

苦しまなければいけないという想いを、感謝と愛への生活へとシフトさせたこと。

これ以外にも、自分の思考の癖をまずは意識をして変えていくことをした。

自分がどんな世界を創りたいのかを明確に、それを思い描いていく。

 

 それらを経て、この「自分が創り出す世界」のトリックを潜在意識へと落とし込むことができた。

 

そして、何回も書いていることだけど、そのためには常に自分を心身ともにいい状態においてあげることも大事なのだと思う。

 

あなたはどんな世界を創造したい?

 

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心地よい時間を過ごすこと

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早いもので、妊娠後期に入りました。

時間だけはたくさんあるので毎日じっくりとココロと身体を整えています。

 

朝は瞑想、呼吸法とアーサナにストレッチを1時間から1時間半ほど。

今はバリ島は乾期に入り、私の住むウブドはそよ風が気持ちいい。

風が抜ける部屋でゆっくりと身体を緩め、呼吸を深めていると本当に心地よい。

身体もココロもすっかりリラックスしているのがわかる。

 

自分を大切にすること。

自分を常に気持ちいい状態にしてあげること。

本当に大事だなと想う。

最近たまたま手に取った引き寄せの法則の本を読み、結果まずそれが第一なんだなと再確認。

自分を心地よくすることで正の連鎖を生む。

そういうことなんだよね。

そして心地よい状態からは自然と感謝の気持ちが沸き起こる。

どうしたってそんな時にはネガティブなことなんて思い浮かばない。

 

先日も朝のヨガの後、気持ちよくシャヴァーサナしてたら自然と涙が溢れてきた。

妊娠中ということもあり、感情も敏感にもなっているのもあるけど、

感謝の涙が止まらなかった。

 

友だちは少ないし、私は他人に自分の相談てほとんどしない。

自分のことをよく理解できるようになるまではそれが時に寂しく想う時もあった。

でも今は違う。

この前の涙は、私は独りじゃない。

みんなに支えられて生きているんだっていう、その感謝の気持ちが止まらなかった。

 

いつも絶対に私の味方でいてくれる母や、

私は何もしてあげられてないし、むしろ母にたくさん世話をかけているのにも関わらず、

たくさん与えてくれる姉、

同じ道を歩む旦那さん、

その存在が私の心を支えてくれる息子

そして、お腹の中から私を守ってくれている赤ちゃん…

 

そんなみんなへの気持ちが一気に溢れてきた。

 

ココロの緊張を解いてあげるって大事だね。

きっとお腹の中の赤ちゃんにも伝わってるはず。

 

だからね、どんなことでもいい。

自分の心地よいこと、気持ち良いことをどんどん選択していこう。

物事の良い面を見ていこう。

そして、すべてうまくいく。と、

宇宙を、

自分を信じよう。

正の連鎖しか生まれないから。

 

 

 

 

子ども主体でいいの?

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私の住むバリ島には多くの日本や海外からの移住者がいます。

みんな移住の目的はそれぞれですが、子どもの教育のためという家族もいる。

バリ島の気候や環境の中でのびのびと育てたいのでしょう。

ましてや日本の都市に住んでいたらそんな気持ちが強くなる人も多いいのかなと。

あとは、最近多い英語を身につけさせるためということもあるでしょう。

 

ここバリ島以外にもこういう理由で海外移住する人が増えてる最近。

とにかく子どもの”教育”主体で家族が動く。

それ自体が良い悪いという話ではなくて、

今回の視点は

じゃあ自分自身はそれで幸せか?ということ。

 

教育熱心な親が多いけど、子どもに自分たちの理想や望みを託しすぎたり、

子どものためにと、自分の時間やワクワクする気持ちを抑えたりしてないかな?

結局、日本からのお受験戦争は避けてきたけど、こっちでも”良い”学校優先になり本当に子どもをのびのびと育てられているのかな?とか想うわけです。

どこにいようが大学が…とかそういう将来のことばかりに心配が先走ってる。

場所が変わってるだけで、親側の姿勢って結局似たり寄ったりにしか見えない。

親がまずのびのびとしてない!笑

 

何が言いたいかといえば、

彼らは自分の人生を生きているのだろうか?

”子どもの幸せ=自分の幸せ”ではない。

自分の人生は子どもには託せない。

もちろん子どもの人生を私たち親がどうする権利はない。

ただ出来ることは彼らの幸せを願うことだけだ。

そしてそのための行為が自分の人生の望みかのようになってしまってる気がする。

 

もっと、自分を大切にしてほしいと思っている。

生活の中でどこかに自分のスペースを作ってほしい。

自分が幸せで、気持ち良い暮らしを見せることがとても大事なことだ。

でもこれは、育児や家事を全く放って良いというわけではなくてね。

ただ、必ずどこかにスペースはあるから。

もっともっと、自分の内側に向き合っていってほしいと思っている。

そんなに子ども子どもしなくても大丈夫だよ、と言いたい。

子どもは親の笑顔を見ることが嬉しいんだから。

子どものための環境の前に、自分のための環境を整えることを考えても良いと思っている。

 

自分が、心地よく気持ちよく過ごせる日常を♩

 

 

 

 

 

 

 

新月に想うこと

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バリ島では今日が新月(バリの一日の時間の区切り方で日本とずれる日がある)

何から書こうか…

最近は色々な思いが巡っています。

只今、妊娠6ヶ月に入っているということが大きく関係しているのでしょう。

秋には家族が一人増えます。

 

「この時期に大変ね」

と、心配してくれる人もいますが、

逆に、私としてはこの時期であってよかったと思っている。

仕事もない今、じっくりとお腹の子に向き合い、

体を動かしたり、自分の好きな時間を堪能することでどんなにストレスフリーな環境なことか!夏のハイシーズンも今年は見込めそうにないので本当にこれは私と赤ちゃんに与えられた貴重な時間だと思っています。

そして、そうできる環境であることに心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そして、今日は私たちの夫婦生活が13年目を迎えました。

一度どん底を味わい、少しづつ時間という助けも借り今は仲良しバディです。

息子が1歳になると同じくしてバリ島に移り、お金もないところからのスタート。

28歳ぐらいの時だったかな、

初めて「私」って何?

みたいな壁にぶつかった。

一つづつ生活を築き上げていく中で、旦那さんとの価値観の違いやらでお互いがとてもギスギスしてたな。

そんなことが数年。

でも色々なことをきっかけに少しづつ関係が改善されていった。

 

私自身そして彼自身も、変わっていったのだろう。

色々な価値観が崩れた(いい意味で)

そしてまず、自分自身が生きやすくなった。

そして夫婦で宿を営む過程で、お互いの領域・役割を尊重することができるようになった。

 

そして今年、11年ぶりに第二子を授かることに。

息子を授かり、「家族」を持った時に思ったことをふとまた思い出していた。

一人でフラフラ好きなことばかりやってきた私は、自分が幸せだという感覚がなかった。

それは闇がなければ光がわからないと同じことで、

私は一度も辛い経験をしたことがないので、自分が幸せかどうかという発想がなかった。

 

でも、家族を持った時に感じたことは「幸せ」だった。

そして気づいた。それまでの一人の人生は「楽しかった」だった。

自分だけの時間は本当に楽しかった。

そういう時間が持てたから一人の自由な時間がなくなることに何も悔いはなかった。

(これも実際には一定の期間だけ。)

これからはこの「幸せ」を育む人生の新しいステージなんだと思った。

 

結婚願望も子どもをもつ願望も特になくて、ただ漠然といつか温かい家庭を築きたい。

という思いだけだった。

全てはタイミング。

今でも他人に結婚や子どもを作ることを勧める気は一切ない。

本当にこれは個々の問題だと思っているから。

それだけが「人生の幸せだ」なんてことは到底思わない。

ただ、私にとってはそうだったというだけのこと。

 

前世ではインドの山奥とかでとにかく修行に励んでいたらしいです。

だから今世は子を育むこと、家庭を築くことがテーマなのかもしれないです。

正直、一人目を全身全霊で向き合ってきたためか、二人目を考えることなんてできなかった。

これ以上に愛を注げる相手がいるのだろうか?と。

しかも、多くの人が言うような「お産の痛みなんてすぐ忘れる」とか言うあれは

一切私はないです。全然痛いの覚えてます。

またかー!

と言うのも正直な気持ちでした。

でも胎動を感じ、少しづつお腹の子にフォーカスし始めるとそれらの些細な心配や不安は一切吹き飛んでしまいました。

これからこの子と過ごす時を考えたらお産の痛みなんてほんの一瞬。

赤ちゃんをもう一度この腕で抱ける喜びほどのものはありません。

 

そんなことを想う新月の今日です。